妙経寺について

妙経寺の歴史

青陽山 大乗院 妙経寺は、本亀(1501~1504)年間の創立。
 開山 日浄〔永正16(1519)年9月8日寂〕。
 もと足柄上郡金子村にある真言宗の寺院で永正のはじめ、七里法華開教の祖、京都妙満寺16世日泰が宗祖旧跡拝礼のため関本村に一泊し、その時に真言宗の僧が帰依し日浄と改め、一宇建立のため北条早雲に出願、許されて青陽山大乗院妙経寺を創立しました。

 明和8年に自火で全焼、仮普請後間もなく安永5年に類焼。以上は、享和3年に復興もため誌された帳面の文意による縁起沿革であるが、この記述も東京都浅草寿仙院森川泰修の一部記録に基づくものである。最終的には関東大震災で古文書・記録などを全く失ったため、現在の地に移るに至った経緯は不明である。

妙経寺の情報

宗派日蓮宗
宗祖日蓮大聖人
本山会津 妙國寺
総本山身延山久遠寺
寺院名妙経寺(みょうきょうじ)
山号青陽山(せいようざん)
〇妙経寺の本尊

「本尊」とは、仏教を信仰する上で礼拝、尊崇する対象の中心となる仏さまなどのことをいいます。

日蓮宗では、日蓮聖人がお書きになられた文字式の大曼荼羅を本尊とするのが通例です。

大曼荼羅には、法華経の本門の虚空会(法華経の後半部分の、お釈迦さまが本当は永遠の寿命を持つことを説き明かす部分。お釈迦さまが虚空に浮ぶ多寳塔の中に座して、聴衆も仏の神通力によって虚空に引き上げられて説法を聞くので虚空会といいます)のすがた、すなわち、仏さまによる救済の世界がえがかれています。

日蓮聖人は、「お題目の光明に照らされることによって、私たちにもともと具わっている尊さがあらわされて、成仏のすがたを示す。それが本尊である」と仰っています。

このためご本尊を「十界皆成の本尊」といいます。十界とは、仏から地獄までのすべての世界のことで、そのすべてが成仏する本尊という意味です。

妙経寺の本尊は、本多日生筆彫刻の板曼荼羅となります。